Barolo DOCG del Comune di Serralunga d'Alba "Aeroplanservaj" / Domenico Clerico
バローロ DOCG デル コムーネ ディ セッラルンガ ダルバ “アエロプランセルヴァイ” / ドメニコ クレリコ
【タイプ】赤ワイン【ブドウ品種】ネッビオーロ
【ヴィンテージ】2015年
【産地】イタリア・ピエモンテ州
【容量】750ml
【店主コメント】初ヴィンテージ2006年。ドメニコが長年夢見ていたセッラルンガからのバローロの畑は海抜450mの南東向き斜面にあり、銘醸畑カッシーナ フランチャの近くに位置しています。クレリコのモンフォルテのバローロと同様に豊かなボディとしっかりとしたストラクチャーを備えていますが、タンニンはよりエレガントで女性的なスタイル。尚『野生の飛行機』という意味を持つキュヴェ名は、手に負えない腕白坊主だった幼少頃のドメニコに父親が与えたニックネーム。その名は6種類の異なるラベルにも表現されています。※写真のエチケットのバローロ1本のみ。
【醸造方法等】バリック16ヶ月(新樽20%)後、スラヴォニアンオークの大樽(30hl)16ヶ月間熟成。
【生産者】ドメニコ クレリコ
【生産者について】新しいスタイルの確立バローロ・ボーイズのトップ生産者のひとりであるドメニコ・クレリコはパオロ・スカヴィーノと共に凝縮感があり力強いバローロの代表としてマルク・デ・グラツィア・グループをけん引してきた。現在に至っても存在感は絶大であり、ロバート・パーカーが5ツ星評価を与えるなどバローロ・ボーイズの枠組みを外したところでも偉大なバローロの生産者として位置づけられている。代々モンフォルテでブドウ栽培を生業とする家系に生まれたドメニコは、1976年にワイナリーを設立し元詰めを開始。セラーで様々な実験的醸造を行うだけでなく、他の生産者のワインを試飲し、情報交換を行い、独学にて自らのワイン造りを模索した。中でも、彼のワイン造りの指標を決定づけた最も重要な要素のひとつはバリックである。1970年代には大樽のみでワインを造っていたが、バリックでの醸造を学ぶべく1981年にエリオ・アルターレとともにブルゴーニュを訪問。ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティでの試飲では、新樽を使っているにも関わらずバレルサンプルですらオークの味がしなかったことに衝撃を受け、ブルゴーニュから帰るとすぐに樽の研究に没頭した。試行錯誤の末、1983年にドメニコ初のバリック熟成のワインとなるアルテをリリース。クレリコの代名詞ともいえるバリックを用いるモダン・バローロのスタイルを確立した。また、ドメニコはこれらの過程で得た経験や知識を内に秘めるのではなく、惜しげもなく周囲の生産者に教えた。ロータリー・ファーメンターでの発酵やバリックでの熟成など現在バローロで広く用いられている手法を普及させ、バローロのクオリティ向上に一役買ったその功績は偉大である。
「ワインの質の90%は畑で決まる」という信条から、狂信的な程の情熱で畑作業に献身し、父親から受け継いだ5haに満たない畑に加え、徐々に買い足したジネストラ、モスコーニといったモンフォルテの名だたるクリュから20年以上に渡って目を見張るような見事なワインを造り続けてきたクレリコだが、その探究と向上は止まるところを知らない。 2006年からは長年の夢だったというセッラルンガの畑からのバローロ造りをスタート。2009年からはそれまで存在しなかった早くから楽しめるネッビオーロ100%のワインも手掛けるようになった。また、ポテンシャル重視ではなくバランス重視のワインを目標とし、近年ではマセラシオンの期間を長くしたり、新樽100%での熟成を撤回するなど、設立以来培った経験からどうすれば目指すワインに達することができるかを導き出し、それに適切な方法を常にワイン造りに反映している。既に名声が確立された老舗生産者だが、変化を厭わず日々進歩を続ける姿勢にワイン・アドヴォケイトをはじめ専門各誌から惜しみない賛辞を受けている。2017年7月、ドメニコ・クレリコの訃報が届きワイン界に深い悲しみを残した。67歳という若さでこの世を去った彼に対し、ガンベロ・ロッソやワインスペクテーターをはじめ各紙から哀惜の念に堪えないと声が寄せられた。 現在は品質・スタイル一切変わることなく同じチームのメンバーが踏襲し、 クレリコが目指していた高みに到達すべく邁進している。今後もますます目を離すことができない。
2015 バローロ DOCG デル コムーネ ディ セッラルンガ ダルバ “アエロプランセルヴァイ” / ドメニコ クレリコ
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